HOME書評リレー > 書評: 東アジアにおける石製農具の使用痕研究

第39回 (2017,10,30)
原田幹 著 『東アジアにおける石製農具の使用痕研究』

評者: 高瀬克範 (北海道大学大学院文学研究科・准教授)

書名 東アジアにおける石製農具の使用痕研究
著者 原田幹 著
発行元 六一書房
出版日 2017/10
価格 12,960

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 序章
  第1節 研究の目的
  第2節 研究の現状と課題
  第3節 研究の方法
  第4節 本書の概要
【第I部 石器使用痕の研究】
 第1章 使用痕分析の方法
  第1節 研究史と課題
  第2節 使用痕分析の枠組み
  第3節 使用痕の記録と観察基準
  第4節 焦点合成ソフトを用いた多焦点使用痕画像の作成
 第2章 使用痕と人間行動の復元
  本章の目的
  第1節 石器使用をめぐる関係性
  第2節 使用痕と石器の機能
  第3節 使用痕と石器のライフヒストリー
  第4節 使用痕と身体技法
【第II部 使用痕からみた東アジアの石製農具】
 第3章 石製農具の使用痕
  本章の目的
  第1節 収穫に関わる石器の使用痕
  第2節 弥生時代の石製収穫具―朝日遺跡の石庖丁をめぐって―
  第3節 土掘具・耕起具の使用痕
 第4章 日本列島における石製農具の使用痕分析
  本章の目的
  第1節 収穫関連石器の使用痕分析
  第2節 東海(尾張・三河・美濃地域)における収穫関連石器の使用痕
  第3節 北陸(加賀・能登地域)における収穫関連石器の使用痕
  第4節 中部高地(甲斐地域)における収穫関連石器の使用痕
  第5節 山陽(吉備地域)における収穫関連石器の使用痕
  第6節 使用痕からみた弥生時代の収穫関連石器
 第5章 朝鮮半島における石製農具の使用痕分析
  本章の目的
  第1節 研究の背景
  第2節 調査と分析の方法
  第3節 石刀の使用痕分析
  第4節 ?片石器の使用痕分析
  第5節 「土掘具」の使用痕分析
  第6節 小結
 第6章 長江下流域における石製農具の使用痕分析
  本章の目的
  第1節 調査と分析の方法
  第2節 「耘田器」の使用痕分析
  第3節 有柄石刀の使用痕分析
  第4節 「押し切り」から「穂摘み」へ
  第5節 石鎌の使用痕分析
  第6節 「破土器」の使用痕分析
  第7節 「石犂」の使用痕分析
  第8節 小結―長江下流域新石器時代の石製農具の特質―
 終章 総括
  第1節 石器使用痕の研究
  第2節 使用痕分析からみた石製農具の機能
  第3節 東アジア初期農耕研究における石器使用痕分析の意義と展望
  第4節 おわりに

 本書には,著者がおよそ20年間にわたって日本,韓国,中国で実践してきた農耕にかかわる石器の利用法に関する研究成果が,ほぼ余すところなく収録されている。2部構成のうち,第I部では中核的な研究手法となる石器使用痕分析の方法論的・理論的前提が整理され,第II部で石器使用痕研究のケーススタディーが展開されている。
 第I部(第1-2章)では,研究史,研究の枠組み,観察・記録方法にくわえて(第1章),石器使用痕をとおして解明しえる石器の機能やライフヒストリー,使用者の身体技法といった論点が概述される(第2章)。本書序盤においては使用痕の観察・分類基準が明示されているだけでなく,観察シートのフォーマット,自らの実験石器全点の情報(序章)が提示されており,のちの各論においても個別資料の分析結果一覧が付されている(第4-6章)。基礎的情報の丁寧な開示は,分析の過程を可能なかぎり客観化,透明化したいという著書の意図の表れであり真摯な姿勢に好感がもてる。また,顕微鏡写真の焦点合成を積極的に活用してきた著者らしく, この20年間で急速に進んだデジタル化のメリットを活かす試みに多くのスペースが割かれているのも特徴であろう(第1章)。
  第II部(第3-6章)では,西アジアやヨーロッパをふくめて,農具の使用痕研究に特化した研究の歴史がまとめられたのち,イネ科栽培植物の収穫実験と使用痕の記録方法が詳述される。これをふまえて朝日遺跡出土資料を高倍率法で分析した結果,磨製石包丁は穂摘具,大型磨製石包丁や粗製剥片石器が根刈具であり,さらに小型の粗製剥片石器には穂刈具も含まれる可能性が明らかにされる。打製土掘具の使用実験ではXタイプのみならず,土に含まれている草本の影響によってBタイプに類似する使用痕光沢面が形成されることも確認される(第3章)。これは,後述の石鋤や破土器などの使用痕の解釈にとって重要な意味をもつ。
 第4章では,日本列島,とりわけ著者が主たるフィールドとしてきた東海,北陸,中部高地,瀬戸内から出土した弥生文化期の資料分析結果がまとめられている。その結果,各地の石製農具は穂摘具と根刈・除草具から構成されていたことが明らかにされている。この分析結果は,1)弥生文化期の石器器種が特定の用途と高い相関性を有していたこと,2)技術形態,岩石,細かな利用法(紐の利用など)に地域差はあるにせよ各地で共通性の高い収穫活動が行われていたことを意味しており,従来の研究が補強されている。
 第5章は,韓国出土石器の事例研究である。青銅器時代の石刀は穂摘具であることが確認できるものの,新石器時代および青銅器時代の剥片石器には植物との接触を示す痕跡は認められていない。近年,韓国ではレプリカ法によって新石器時代前期からアワ・キビの利用が継続していたことが明らかにされつつあるが(山梨県立博物館・山梨県考古学協会2013など),こうした研究動向との関わりにおいて新たな問題を提起する重要な成果であろう。また石鋤は,着柄されたうえで「植物が密集する環境で,植物を根本からすきとるような作業に用いられた」(218頁)と推定されている。
 第6章は,長江下流域の新石器時代にかかわる各論である。崧沢・良渚文化の耘田器や有柄石刀は「押し切り」によって操作される収穫具であると想定され,これは実験によっても追認されている。その後の馬橋文化(およびその直後段階)の石刀は穂摘みの動作でもちいられており,この段階で収穫の身体技法が大きく転換したという。また,良渚文化の石鎌は,実験結果との対照から着柄ののち刃面が作出された面を下にして右手で保持され,ある程度厚みのある植物を茎の中位から根本で切断する用途で利用されたと考えられている。大型の磨製石器である破土器は,着柄したうえで石器自体の重みを利用して植物を根本で土に押し込むようにして切断した除草具,石犂は地面に近いところで先端部を前にして進める操作方法によって両側縁で草本を切断するために利用されたと推定されている。著者の研究によって,中国でも利用法に諸説があった石器の用途がかなり限定できるようになった。また,破土器と石犂は残稈処理や水田の除草を目的としたものではなく,広大な低湿地に耕地を切り拓くための道具であったとの仮説も提起されている。終章では,前章までの議論が要約されている。
 本書は,既公表論文から構成された博士学位論文を書籍化したものであるため,必ずしも内容の新鮮味や意外性に富んでいるわけではない。しかし,着実に積み上げられた観察と,実験をとりいれた痕跡学的手法にもとづく農具研究の到達点というに相応しい充実した内容をほこっている。とくに,多くの器種について実験による検証が伴っていること,日本列島だけではなく韓国や中国の資料もおなじ方法と基準で検討されている点には大きな意義がある。
 一方で,疑問や不満がのこる点がないわけではない。第I部の研究史,研究の枠組みや身体技法など解釈の枠組みのまとめは,よくいえば堅実であるが,悪くいえば型通りである。研究の枠組みの面では,痕跡研究のなかで実験が果たす役割を再評価した Juel Jensen(1993)や五十嵐(2003)の議論が重要であると評者は考えているが,この文脈での先行研究への言及はない。
 本書の長所は,重厚かつ客観性の高い観察・実験結果をもとにした石器の機能・用途推定にあるが,その背後にある栽培植物の利用や農業技術の復元およびそれらの地域間比較に関する議論があまり掘り下げられていない。東アジアの広範囲から出土した多様な器種を対象とした研究だけに,分析の総合化が積極的に展開されなかったのは残念である。たとえば,根刈・除草具の有無はどのような技術的・社会的意義にむすびついてくるのか。「韓国の収穫関連石器の組成は比較的単純」(208頁)という評価だけではかたつけることのできない意義がそこにはあるはずである。
 農業技術の復元の面で本書が貢献している部分があるとすれば,それは破土器や石犂による低湿地の耕地開発という仮説の提起であろう。検証のためには,さらなる実験,着柄状態がわかる石器出土例の発見,耕作地の特定とその理化学的分析などがあげられているが(289-290頁),これらの石器が出土する遺跡の位置・立地が大規模な低湿地と関連しているか否かについては現状のデータからでも可能な検討はあるであろう。また,耘転器があるとはいえ,栽培化イネが イネ全体の少なくとも2/3を占めるようになっていた良渚文化期において(Fuller et al. 2009),こうした石器が収穫具とはなりえないのかという点にも疑問がのこる。
 このほかにも,畜力による耕起の発生と展開,作物の種類と道具・操作方法の関係,「押し切り」による収穫の衰退要因,石包丁伝播の「北方ルート」(寺沢2000)の評価など,現時点での史・資料をつかって展望しえる多くの問題が置き去りにされていると感じる。「穂摘具の伝播と定着」(180頁),「犂耕をめぐる諸問題」(297頁) など,こうした課題に関連しそうな小見出しもみられるが記述はきわめて短く実質的な考察は行われていないことも,消化不良感をのこすひとつの要因になっているように思われる。
 具体的な水準でこれまでの分析結果と抵触する点に,韓国の石刀の理解がある。評者らの検討結果では韓国には典型的な穂摘具とは異なる使用痕を有する石刀が少なからず認められ(高瀬・庄田2004,金炳燮・高瀬2006,高瀬・손민주 2007,高瀬2011),数は少ないが日本列島でも同種の資料が確認されている(松山1992)。評者の経験では韓国南部においてこうした資料は決して珍しくはないことから,著者の検討で同種の資料がまったく確認されなかった点には驚いている。おなじ地域でも,遺跡による差異が大きい可能性もあり,さらなる分析結果の蓄積が不可欠である。この種の石刀の利用法は未解明であるが,著者は「思いつき程度のものでしかない」と注釈をつけたうえで植物質の「あて具」が用いられた可能性を考えている(203頁)。近年,評者は地面に近い部分での草本の切断がこうした使用痕のパターンを説明できる可能性を考えており,利用法についての議論もまだしばらくはつづくと思われる。
 本書は,日本の使用痕研究の代表例のひとつに位置づけられる。それだけに,英文要旨がない点も悔やまれる。使用言語は研究内容に比すれば二の次の問題にすぎないが,高度な研究内容が国際的に認知されないことで日本の考古学はかなり損をしてきている側面がある。研究成果をより多くの研究者にも知ってもらうためにも,国際的な学術シーンで自らのプライオリティを守るためにも,日本語以外の言語で成果を記録しておく必要性はきわめて高い。
 とはいえ,これらの点は農耕にかかわる石器の利用法解明を目指した本書の価値そのものを損ねるものではない。これからの研究は,本書との対比や本書の批判的な乗り越えを軸に進められていくようになると予測され,今後の東アジア農具研究の「基準」となるべき重要性を有している研究であることは間違いない。 農具の痕跡研究について問われたとき,必須の文献として自信をもって紹介できる一冊が上梓されたことを心から喜ばしく思う。
 それにしても,本書に収録された研究を基本的に一人で行ってきた著者には,敬意を表さずにはいられない。もちろん,さまざまな人々の協力なしには結実しなかったとはいえ,重い顕微鏡を担ぎながら,これだけ広い範囲で,これだけ多くの資料を観察し,数多くの実験をこなしてきた筆者の行動力と熱意は驚異的でさえある。今後のさらなる研究の進展を期待したい。

【文献】
五十嵐彰2003「座散乱木8 層上面石器群が問いかけるもの」『旧石器文化と石器使用痕』,pp.25-31,石器使用痕研究会。
高瀬克範・庄田慎矢2004「大邱東川洞遺跡出土石庖丁の使用痕」『古代』115,pp.157-174。
金炳燮・高瀬克範2006「晋州大坪里玉房2地區出土石刀의使用痕分析」『南江文物』6,pp.51-61,慶尚考古學研究會。
高瀬克範・손민주 2007「晋州生物産業團地助成敷地内耳谷里遺蹟出土부리현소기・반월현속도의使用痕分析」『東亞文化』2・3,pp.57-73,財團法人東亞細亞文化財研究院。
高瀬克範2011「大邱燕岩山・慶州煌城洞遺蹟出土石器の使用痕分析」『考古學論叢−慶北大學校考古人類學科30周年記念論文集−』,pp.77-104,考古學論叢刊行委員會。
寺沢薫2000『日本の歴史2 王権誕生』講談社。
松山聡1992「石庖丁の使用痕」『大阪文化財研究』3,pp.1−10,(財)大阪文化財センター。
山梨県立博物館・山梨県考古学協会2013『日韓における穀物栽培の開始と農耕技術 資料集』。
Fuller, D. Q., Q. Ling, Z. Yunfei, Z. Zhijun, C. Xugao, L. A. Hosoya and S. Guo-Ping 2009 The domestication process and domestication rate in rice: Spikelet bases from the Lower Yangtze, Science, 323, pp.1607-1610.
Juel Jensen, H. 1993 Flint Tools and Plant Working: Hidden Traces of Stone Age Technology, Aarhus University Press.
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