レビュー一覧

  • 史跡心合寺山古墳整備事業報告書

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    「しおんじやま」と読みます。全長160mの前方後円墳。基本的には史跡整備の報告書だが、『概要報告書』刊行後に行われた第9次と第10次の発掘調査の概要も掲載されている。近畿地方方面では、有名な古墳が未報告で、概報に留まっているものが多い。本墳をはじめ、今城塚、赤土山、行者塚等々…早く本報告を!
  • 早川城3 (1993)

    早川城3 (1993)

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    神奈川県指定史跡早川城跡の確認調査概報の3冊目。綾瀬市は、市内に鉄道の駅がない珍しい市だが、東海道新幹線が市内を通過している。その際に位置する「びわみ堂遺跡」が早川城跡の関連遺跡として調査され、板碑がまとまって出土した。これらは綾瀬市指定の文化財となっている。表紙に板碑群の拓本の写真が使われているのも粋である。
  • 胡桃館遺跡埋没建物部材調査報告書

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    915年の十和田火山の噴火にともなう火山灰泥流(シラス洪水)により埋没した建物の下部の柵列などが建ったまま検出された、とんでもない遺跡。部材など441点が国の重要文化財に指定された。本書は、その調査報告である。部材類は現地にある収蔵庫に収められているが非公開。運良く見学することができたが、残り工合の良さにビックリ。取り上げられずに現地に残されている土居桁などは、確認調査の結果、発掘後40年を経過しても良好に保存されていることが判明している。
  • 下谷地遺跡

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    北陸自動車道建設にともない発掘調査が実施され、当時の県内では珍しい弥生時代中期の集落が発見され、国の史跡に指定された。高速道路盛土下部分と、その両脇が指定範囲だが、永久構築物である高速道路下の指定については、同じく中央自動車道下部分が史跡指定された長野県原村の阿久遺跡でも問題視されている。
  • 史跡 紀伊国分寺跡保存整備事業報告書

    史跡 紀伊国分寺跡保存整備事業報告書

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    国史跡紀伊国分寺跡の講堂跡の基壇上に建てられた現在の国分寺本堂(元禄13年=1700年)などの保存修理報告。全国の国分寺跡には、今も国分寺を名乗る寺院が建っている所も多いが、古代の講堂基壇上に中世の本堂→江戸時代の本堂と繰り返し堂宇が建てられ、今日に至っている例は珍しい。
  • 城北遺跡

    城北遺跡

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    古墳時代後期の竪穴建物跡4軒から合計9体分の人骨が発見され、廃屋墓の可能性が指摘された実に興味深い報告。
  • 石上・豊田古墳群狐ヶ尾8号、9号墳

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    2基とも横穴式石室をもつ円墳。8号墳の石室中央部から墳丘裾部を廻りこむように東西方向に設けられた石組排水溝は見事である。
  • 豊田トンド山古墳 豊田トンド山城跡

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    径35mの円墳で、全長9.4m、奥壁高さ2.7m、巨石を使用した横穴式石室を発見。床面下には石組の排水施設を設けている。石室の三次元計測による陰影平面図と展開図は、とてもリアル!石室床面と排水施設の石材の識別に9色カラーを使ったカラー表示はとても分かりやすい。石室全面部分は、山城(と言うか砦)の堀割で破壊されており、石室石材を破砕するために矢穴列が施されているものがあり、おもしろい。古墳を主郭として利用している点も興味深い。とても良い報告書で、お勧め!!
  • 下里本邑遺跡

    下里本邑遺跡

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    団地建設にともない発掘調査を実施したが、古墳時代を除き、旧石器時代から平安時代までの遺構遺物が発見されたため、計画は中止。約8,000平方メートルが東京都の史跡に指定された。河成低地部の礫床生活面からは旧石器時代と縄文時代早期の遺物が、まとまって出土して注目された。その一部は展示施設で見学できる。
  • 九谷古窯跡発掘調査報告書

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    昭和45、46、49年に発掘調査が行われた、近世前期としては稀有な色絵磁器の窯跡である九谷1・2号窯と、近世後期に再興され、現在の九谷焼に続く吉田屋窯跡(いずれも国史跡)の本報告が、33年を経て刊行された。参加者名簿には当時大学院生だった人が、既に定年退職をむかえているのは隔世の感がある。レンガ造りの連房式登窯である吉田屋窯跡は、九谷焼窯跡展示館として公開されている。